

≪ 井上 靖 ≫
「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。」
前述の一文は、平成3年1月29日、
83歳の生涯を閉じた作家 井上靖氏の小説「海峡」の一節です。
昭和の文豪・井上靖は知人から「ここなら渡鳥の声が聞ける」と聞き、
昭和33年3月9日に訪れ2晩宿泊し、津軽海峡が見渡せる旅館の部屋で、
小説「海峡」の終局を執筆されました。
「海峡」は雪の下北半島を舞台にした作品で、その終章には下風呂温泉を「漁り火の見える温泉」として紹介され、全国的に有名になるきっかけになった。
井上靖文学碑は全国に20箇所あり、その中でも東北地方に唯一ある風間浦村下風呂の文学碑は、碑の名前の横に印章を彫り込んだ全国初の碑。
この碑は海峡いさりび公園に建立され、碑を一目見ようと、
観光客や井上ファンが訪れ、記念撮影や碑文の散文詩を何度も読み返す光景が見受けられる。
「アカエリヒレアシシギ」の散文詩は、原稿用紙に井上靖氏愛用の万年筆で書かれ、その原稿が今でも村に保管されております。

≪ 新島 襄 ≫
同志社英学校(同志社大学の前身)の創始者である新島襄は、元治元年(1864)3月(旧暦)12日、洋式帆船「快風丸」に乗船し江戸から箱館に向かう途中、強い北風と津軽海峡の激しい潮流に遭遇し、箱館を目指して行くことが困難となったので船が下風呂に寄港した。手記で本土最後の寄港地として書かれており、下風呂温泉を「万病に効く心地よい温泉」と褒め称えるほど、長旅の疲れを癒すのに下風呂温泉の硫黄泉は心から満足のいくもので、大事を胸に秘めた青年 新島襄にとっては、心に残る思い出の地となったようだ。現在、海峡いさりび公園に寄港記念碑が立ち、これを期に風間浦村と同志社との熱い交流が行われている。
≪ 菅江 真澄 ≫
江戸時代の紀行家・菅江真澄は、寛政5年8月2日(1793年)の夜、この下風呂で不思議な光景を目にしている。
「沖より、鬼火のやうに、波のうへの光あるはいかにととへば、塩光とも、しほたまともいふといらふ」。(『まきのあさつゆ』)